オルかなの想い

オルタナティブとは、

「もうひとつの選択、代わりとなる、異質な、型にはまらない」などの意味があります。

私たちは、「多様性を認め合う」とか「別の選択肢」というとらえかたをしています。

私たちの目的は、オルタナティブな社会(既存のシステムや概念にとらわれない、別の選択肢がある社会)を目指して、

オルタナティブな医療・福祉・教育、そして街づくりに関する活動や事業を展開していくことです。

 

 

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ストレス社会と言われる現代。

窮屈な社会が生む生きづらさや、誰にでも起こりうる悩み、心身に生じる不調に対して、

 

 

①なるべく医療や薬は最小限に

②セルフケアという方法を知り、深めていくことで、そもそもの症状の予防、または悪化を防ぐ

 

 

ことが出来るんですよ、という普及啓発を、市民団体として行っています。

 

 

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生き方の多様性が認められなくなった現代社会。

【過剰な診断や投薬】が当たり前になっている医療。

そんな医療や診断に依存しなくては回らない福祉、教育。

 

そして何も考えられなくなっていく私たち市民。。

 

いつの間にか地域のコミュニティは縮小され、
何でも個人の「自己責任」だと言われてしまう。

 

窮屈で、疲弊して。。

 

一度レールから外れたら、取り返しがつかない!と、
恐怖に追い立てられてるような日々。

 

苦しくなって、精神科や心療内科にかかる人も、後を絶ちません。

ですがその苦しみは、私たち国民が作ってきてしまった社会が生んでいるのであり、

医療だけでは根本的な解決にはならないと、私たちは考えます。

 

 

もっと、シンプルに、まっすぐに。自分も周りも思いやれる、

オルタナティブな社会を創りたい。

 

 

夢みたいな話ですが、一歩一歩、出来ることを積み重ねて行きます。

☆私たちは、今ある医療や福祉、教育のすべてを否定しているわけではありません。

ですが、別の選択肢がもっともっとたくさん、あるべきだと考えています☆

 

 

 

なぜ、この活動を始めたのか

こんにちは。オルかな代表のみつはしと申します。精神保健福祉士です。

相談員として20年、医療と福祉の現場で、勤務をして来ました。

ですが、現場ではいつも、医療や福祉のありかたに、疑問がついて回る日々でした。

 

一番の疑問は、一度診断がついたら、ずっと薬を飲み、通院して、【寛解をめざす】という考え方です。

たくさんの薬を飲んでいる人も多く、精神科病院に勤務している当時、医師に聞いても「この人はこれだけ飲んでいるから、この程度で安定してるんだよ」と言われました。安定?寛解?どう見てもしんどそうですけど。。この状態が寛解なら、精神科の治療ってもう限界に来ているんだな。こころの病や症状は、通院や薬では根本的にはきっと治せないんだろう。
私は地域に出て、働く場や生活のサポートがしたい。

そう思って、勤めていた精神科病院を辞めました。

そして、地域の相談員として、就労支援の事業所、最後は相談事業所に勤めました。

相談事業所で訪問担当をしていた2011年9月。担当していた利用者さんの自宅を訪問したら、
突然死していました。

私は第一発見者となり、死亡確認や現場検証に立ち会いました。ご家族と疎遠だったその人は、

生活保護での直葬となり、火葬場で私が見送りました。

 

自死ではないのです。突然死だったのです。

死亡時診断は、「急性心不全」とつけられました。

その人に心臓病の既往はなかったのに、です。

これからのことを一緒に考えて行く約束をしていて、絶対に死にたくなかった人です。

どれだけ無念だったろうと思い、私がもっと早くに訪問していたら助かったのではないか、と自分を責めました。

 

その人は何十年も、たくさんの精神薬をのみ、もう飲みたくない、減らしたいとずっと訴えておられました。主治医に連絡しましたが、「この人はこれでも少ない方です。福祉からも飲むように伝えてください」と言われてしまいました。その後、私も一緒に診察に行きます、とご本人と約束したその日に亡くなりました。

 

それまでも、突然亡くなる利用者さんが毎年いました。
これは、薬のせいなんじゃないか。

どこかでずっと思っていたけど直視してこなかったこの事実を、私は徹底的に調べることにしました。

病状を抑えるためなら、寿命が縮んでも仕方ない?そんなわけない。

頑張って言われた通り薬を飲んでいるのに、なぜここまで副作用に苦しみ、こんなあっけなく死ななくてはならないのか。

 

精神医療って、何様なんだろう。それに逆らえない、福祉ってなんだろう。

そして何もして来なかった私は、間接的な、加害者だ。

 

絶望感と罪悪感で、現場を辞めようと考えていました。

でもここで辞めたら自分だけが逃げるような気がして、ギリギリの状態で残りました。

 

現場では、精神薬の効果や副作用を学ぶ研修はたくさん受けて来ました。

ですが、それは医師や薬剤師など、薬を飲ませたい人、飲むことが絶対だと思っている人たちが話す研修であり、飲む人の立場に立った、薬の【害】に特化した話をする人はいませんでした。

 

ネットで調べるうちにたどり着いたのが、当時の【精神医療被害連絡会】代表の中川聡氏(のちの全国オルタナティブ協議会理事長)です。

そこには、私と同じように疑問を感じた医療職、福祉職、そして精神医療や薬で悪化したけど、ご自身で減断薬を決意した人、薬をやめて快復した人たちが集まり、薬の害について、学んでいました。

中川氏はご家族を精神薬の多剤処方で亡くされた経験から、独自に向精神薬の薬理学について学び、専門職よりも深い知識を得ていました。

私は中川氏の講座で、この国の精神医療による薬の処方は、諸外国に比べて異常に多いこと、それによる悪化や死亡があっても、医療側も、司法も、現場職員も全く認めず放置されている現状を知りました。

 

私が精神保健福祉士の資格を取るために学んだことや、現場で教わったことすべてが、この問題を棚上げにしていることもわかりました。

 

私は一応専門職なのに、ご遺族だった中川氏に、あらためて向精神薬や、この国の精神医療と福祉の問題について、教えてもらったのです。

とても情けなく、申し訳なく、悔しい気持ちが溢れました。

でも、長年現場で疑問に思っていたことの理由がはっきりとわかりました。

 


私たちの活動は、精神科の治療や薬による悪化、特に、精神薬による【薬害】を体験した、またはその事実に気づいた人たちによる、【被害者活動】から始まったのです。


中川氏を中心に、厚労省へ要望書を提出したり、全国で勉強会を開催するなど、被害を訴え、広めていく活動を数年行いましたが、カルト扱いされたり、関心のない人には届かなかったりと、苦戦を強いられました。

 

怒りと悲しみの感情で被害を訴え続ける活動は、必要なプロセスではありましたが、継続していくのには、苦しいものがありました。

負のエネルギーを出し続けるのは苦しいですし、人を寄せ付けないオーラがあります。

いつからか、いつも同じ仲間で集まり語り合う、閉鎖的な会になって行きました。

 

ある時、中川氏から、イタリアの精神医療改革や欧米の当事者活動から学んだ「オルタナティブ活動」に転換するという提案がありました。

 

欧米では50年も前に、脱施設化し、当事者中心の「オルタナティブ団体」がたくさん生まれていました。

 

それは、医療が主体で患者を管理するのではなく、医療や薬を使うかどうかも、最大限、本人や、本人の人権を守る立場の人が判断して決定しています。

 

私たちは、被害者団体から、立場を超えた自助グループ、オルタナティブ団体として、再出発したのでした。

 

精神医療による被害や、精神薬の害は、今でも続いていて、多くの人が犠牲になっています。

この国の精神医療や福祉のしくみのおかしさや専門職のあり方について、そして私たちの人権については、ひきつづき私たちは発信して行きます。

 

それに加えて、「じゃあどうすればいいのか」「市民として何ができるのか」を考えて行くのが、オルタナティブ活動です。要望するだけでなく、小さな船でも自分たちで作って出発する。そんなイメージです。

 

 

 

【批判や問題提起の、その先へ】

 

この問題はとても深刻であり、そしてガチガチに固まったこの国のシステムを変えていくのはとても難しいことです。ですが、私たちひとりひとりがつながり、多様な生き方と考え方で日々、楽しく過ごしていくこと、それを発信していくことは可能です。被害者意識は一旦置き、そんな仕組みや社会だけど、自分がどう生きて行きたいのか。一緒に考え、新たな選択肢を創って行く。

 

それが私たちオルタナティブ協議会の活動です。

 

ご賛同いただける方は、ぜひサードオピニオンや各種イベントにいらしてください(*^-^*)

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。